怒りで我を忘れてるんだわ
皆さんこんにちは
風の谷のナウシカが大好きな
心理カウンセラーの小川なおみです。
早速ですが
あなたは
子ども、パートナー、 人間関係でむかっとする時ないですか?
ありますよねw
その怒り、本当のところは過去の悲しみです。
今回は
「だって夫が!」
「だって子どもが!」
「あの人がムカつく事をしてくるから腹が立つのよ!」
と思っているそこのあなたに向けてお役に立てる情報をお届けしたいと思います。
例えば
体、全体に塩を塗ったとします。
傷口が無ければ塩がかかっても、しみる事はないですよね?
しかし、見えない傷口があったとしましょう。
するとそこは痛いし、しみるわけです。
ここで話したい事は
塩はただの出来事(相手は傷つけようとしてやっているわけではない)
という事です。
同じ出来事が起こっても、怒る人と反応しない人がいて、
その違いはその人に傷があるかないかであるという事なのです。
私たちは幼少期に大なり小なり沢山の傷ができて、今もその傷は完治しないまま
日常を送っています。心の傷は見た目では分からないし、当人ですら気が付かないものが多いです。
しかし他人の言動が自分の傷口の場所を教えてくれます。それは他人の言動にモヤっとしたりイラっとしたり、カーっとなったりと怒りやネガティブな感情が沸き起った時です。
例えば私の例ですと
子どもの名前を呼んでも、子どもがユーチューブに夢中で
私の声に気が付かない時
『何度も呼ばせんなよ!一回で気付けや!』
という心の声が湧き起りましたw
しかしその下にある感情は
『一回で返事してくれないって事は、私なんて大した人間じゃないって事?
私なんかどうせ、どうでもいい人間って思ってるんでしょ?』でした。
しかし、大した事ない人間とか、どうでもいい人間なんて
子どもは一言も言ってません。
つまりこれは自分で自分の事をそう思ってるから、そんな言葉が出てくるわけです。意識の上では自分の事は大切だと思ってるつもりでしたが、無意識では自分の事を大したことないどうでもいい人間と思っていたのです。
ではなぜ自分のことをそんな風に思う様になってしまったのでしょう?生まれたばかりの赤ちゃんが「私なんてどうせ・・・」とは思いません。
私たちは生育過程において親や学校から、しつけだったりルールを学びます。その経験の中で「私はダメな人間なんだ」「私が役に立たないから怒られたんだ」など自分が悪いとか価値が無いと捉えてしまい、その捉え方を繰り返してしまうと、「私なんてどうせどうでもいい人間」などというセルフイメージが出来上がるわけです。
つまり私は目の前の子どもにムカついたのではないという事です。
正確には、子どもの言動を見て過去の傷口が刺激されているだけ。
それは幼少期、親とのやり取りで感じた、成仏しきれてない悲しみや絶望の感情です。
その悲しみは、心の奥の物置部屋に封印されていて決して開かないように何重にも鍵までかけています。
なぜなら、そのドアを開けてしまったら悲しみの感情があふれ出し、日常の生活が送れなくなるかもしれない。抑圧して鍵をかけて門番まで立てて、開かないようにして、バランスをとってきたのに解放してしまったらどうなるかわからない。という自分でも認識できていない領域。
封印してた方が自分にとって都合がいいのです。
もちろん、そこも自覚出来てなかったりします。
だから傷口を刺激する様な出来事を目の当たりにすると、瞬時に「怒り」という門番が前に出て、悲しみを感じない様にしてくれているのです。
ですので私の「何度も呼ばせんなよ!一回で気付けや!」という怒りの奥には、幼少期、親にかまってもらえなくて淋しかった小さな私の悲しみが、成仏されずに肥大化し、ドロドロの状態になっていたというわけです。
実にややこしいですね
でもそれに先ず気付いて、悲しみを物置から出して、しっかり感じる事で成仏できます。
怒りは自分自身を守ってくれていると同時に
そろそろ過去の傷を浄化してあげて!という事も私たちに知らせてくれているのかもしれませんね。
読んでくださりありがとうございます。
それではまたです(^▽^)/